エモリさんのライブ報告レポートです
日を知り、福岡市のホームページにアクセスし、今年で8回目になるという『アジ
アマンス97』の中の「アジア太平洋フェスティバル」にカラバオが出演し、それも
フリーコンサートである事が分かってこれは行かねばなるまいと考え夜行バスに飛
び乗った。いってみれば、バンコク北バスターミナルから
コラートに行くようなものだった。
そして、その行動は「プレーン・プア・チーウィット」
(生きるための歌)のジャンルが好きで
カラワンの結成20周年記念コンサート(94年11月・日仏会館およびバデイ)も手伝った僕が
決定的にカラバオの支持者(要するに大ファン)になる契機になったというべきだろう。
カラバオを初めて見たその夜は、興奮していた。
那珂川の川風も、屋台のラーメン屋も、どこかアジアのかおりを持った港町――博多には似合っていたが
僕の興奮を静めてはくれなかった。
こうして、カラバオを見るためだけに東京からやって来たことや
初めて見るカラバオの最高のステージを誰かれなしにふれてまわりたかった。
カラバオが解散したバンドとはとても思えない。
現に自分たちのレーベル「カラブウ」から、これまでのすべてのテープをCD化するとともに
新しいCDまで出しているではないか!
(この冒頭2曲が今回のコンサートでも歌われた。あとで触れる)
福岡の市民にとっては、初めて見聞きするタイの新しい音楽だろうが、東京から
駆けつけた僕は、ライヴで見たという興奮もあったのだろうが
目をまるくしているじいちゃん、ばあちゃんと同じだった。
ボーカルもギターもテープで聴くカラバオよりは、ライヴのそれは重みもあって迫力もあり
なんといってもエットはカッコ良かった。
初日(9/20)は、ソウルフラワーもののけサミット、マレーシアの可愛い娘ちゃ
んアルニについで、コンサートのトリをカラバオがつとめた。二日目(9/21)は、
トップであった。二日間とも、構成は同じだった。さわりの2曲、新しいアルバムか
ら2曲そして大ヒットした「メイド・イン・タイランド」などのメドレーである。
新曲の2曲は、ともにイサーン(タイ東北部)の食べものを歌った歌で、イサーン
出身の労働者の郷愁をなつかしの味に託して都会(バンコク)から、歌った内容だ
と思われる。イサーンの味といったら、一杯やるとき欠かせないソンタムが有名だ
が、パパイヤなどとあえる時独特の香辛料を使う。このような内容をイサーン地方
の節回しであるモーラム風に歌った歌である。思わず僕は、もはや聴く立場だけで
なく両手で頭上にかかげて踊っていた(本当は、踊りに行ったという説もある)。
カラバオは、そう踊れるバンドなのだ。僕の脳裏には、懐かしいイサーンのモーラ
ム大会の情景が渦巻いていた。アジアマンスの市役所前広場の舞台は、やぐらを組
んだモラームの舞台と化し、ライトを浴びて、男女の掛け合いで歌うあの
モラームだ(モラームは、主に笙とピンというタイの三味線が使われる)。
エット自身は、スパンブリの出身だが、天使の都クランテープ=首都バンコクの底
辺で働く肉体労働者、底辺労働者に共感を持っているに違いない。それこそ、タマ
サート大学生時代に血にまみれた民主革命を担い、森に逃げ込むざるを得なかった
カラワンなどと共通するメッセージ性の強い「生きるための歌」の真骨頂であろう。
僕が、昨年の6月にノーンカーイまで行った際に、立ち寄ったクメール遺跡ワッ
ト・パノム・ルンの正面には、無造作にコンクリートで象嵌されたレリーフがあっ
た。このレリーフこそが、何者かの手によって削りとられ、後にアメリカの美術館
で発見され、一時は返還要求を蹴っていたアメリカもカラバオが、アルバム「タッ
プ・ラン」で、返還を要求する曲を作り大衆的に返還運動が盛り上がると
しぶしぶ返還したというあのレリーフであった。
カラバオの影響力――そのメッセージの強さは、馬鹿にできない。カラワンなど
に比べれば、大衆におもねているといった風評もきくが、僕はエットたちカラバオ
の方が、カラワンのスラチャイやモンコイに比べてもその戦闘性においてひけをと
らないどころか、勝っているのではないかと思っている(僕が良く行く「サワディ
」という久米川のタイ料理店のタイ人のお姉さんは、カラバオはその戦闘性のため
に外国に出られなかったのだと言っていた)。
今回、初めてライヴを聴くことができて、その思いをますます強くした。カラバ
オは、その最盛期は過ぎたとはいえ、まだまだ活躍して欲しいバンドだ。
東京で、ぜひともライヴを聴きたいものである。
カラバオを、この目にして色々収穫があった中で、カラバオによる『満月(ドゥ
アン・ペン)』を、聴くことができたのは、意外性もあってうれしかった。『満月
』は、スラナリーはじめ色々な歌手がカヴァしているが、ぼくはキタンチャリー、
豊田勇造、カラワンの『満月』はライヴで聴いている。カラバオのエレクトリック
・バージョンの『満月』も哀愁に充ちて心を打った(僕は、思わず日本語の歌詞で
一緒に歌っていた)。
東京くんだりから、この福岡の「アジアマンス」に駆けつけたのは、カラバオ来
日に一役かった松村洋氏と僕位のものだろう。松村氏は仕事もからんでいた訳で、
一般ファンとしては、きっと僕位のものだったろう。カラバオの追っかけをやった
二日間であった。
1997.09.28
エモリ